#2名波 浩のサッカーラボ

LABラボ

2019年12月08日(日)
am 9:30pm 12:00

  • 会場
    農試公園「ツインキャップ屋内広場アリーナ」(札幌市西区八軒5条西6丁目95-21)
  • 参加対象
    小学5~6年生
  • 定員
    50名

「楽しくボールと遊び、仲間を意識したトレーニングをする。そしてそれが試合で活かされるように教えるサッカーラボにしたいと思っています。僕も積極的に声をかけていくので、わからないことなど、どんどん聞いてくださいね。ぜひ皆さん参加してください!」−名波浩(サッカー元日本代表)

このラボは終了しました

ATHLETES VOICEインタビュー

ATHELETES VOICE#003 名波 浩

2019年12月8日(日)に開催された第二回アスアスラボにて『サッカーラボ』の先生を務めた名波浩さん。小学生時代からサッカー人生を振り返りながら語る、自身のターニングポイントや成長のためのプロセス。その力強い言葉一つひとつが、今の時代を生きる子どもたちを後押しする。

短時間の中でどれだけ成長しているか、どれだけ自信がついたか

アスアスラボとして二回目となるサッカーラボの先生を務めた名波浩さん。スローインとヘディングをこの日のテーマにした意図や子どもたちへの指導に対して、独自の視点で語った。

「スローインとヘディングは子どもたちが一番トレーニングしていない項目。スローインに関しては、相手を考えずにパッと投げてしまうような適当さが小・中学生の年代の子には多いのでそこを改善したいなと。受け手がボールを足元で欲しいのか、胸に欲しいのか、腿に欲しいのかというのを考えてもらいたかったんです。ヘディングをテーマにしたのは、最近の子ども、特にサッカー少年少女の空間認知能力が非常に低いと感じているから。なぜ低いかというとサッカーしかやってきていないからなんです。僕らが子どもの頃は野球やバスケットボールなど色んなスポーツをやって遊んできましたが、今はサッカーしかやっていないという子が多い。だから技量は高くはなるんだけど、その弊害もあるんです。空間認知ができないと、ボールを被ってしまったり、前に飛ばしたいのに後ろに行ってしまったり、ワンバウンドさせちゃったりするので、そういった改善を第一ステージで行いました」

今回の参加対象は小学校5・6年生の子どもたち。プロサッカーチームの監督も務めてきた名波さんならではの指導には、子どもだからこそ意識したポイントもあった。

「中学生以下の子どもたちを指導するときはいつも、多角的に見るようにしていますね。まず一つめは、声を出しているか、オフの時に準備できているかどうか、そういうところを見る。二つめに、当たり前だけどボールワークを見る。そして三つめは成長度合いを見る。短時間の中でどれだけ成長しているか、どれだけ自信がついたかということ。今回の子どもたちは非常に改善が早かったと思います。シュートを決めたりクリアしたり、思い通りにパスがつながったなどという成功体験が繰り返されれば一番楽しいとは思います。でも例えば、リフティングを100回やるとすると、“ちょっと回転をかけて利き足じゃない方だけで100回やろう”とか、“頭より高くボールを上げて100回やろう”とか、技術要素を取り入れてみる。頭を使って考えるというトレーニングは僕の中でも満足度が高いし、子どもたちの変化も見られて良かったと思っています。プロの大人とは違って言葉のチョイスは気を配っていましたね。小・中学生くらいの年代では、できない子をどうやってできるレベルに持っていくかどうかは声がけの質に関わると思うので、自分自身も意識しますが、子どもたちもちゃんと目を見て話を聞いてくれるスタイルであれば、さらに真剣さが増しますね」

サッカーだけじゃなくて、自分の人生に繋がっている

子どもの頃から、ボールを持っていることが楽しくて続けてきたサッカー。サッカー選手を夢としてではなく目標とし、プロを意識しはじめたのは高校生くらいからだと言う名波さん。その年代ごとの様々な環境においてどのような目標設定をし、続けてこられたのだろうか。

「諦めたり、自分はこれくらいだという線引きをするようなセルフジャッジをしてこなかったから、サッカーを続けられたのだと思います。例えば、自分より1~2歳年上の人のチームに入って試合に出られなかったとしても、なぜ自分は出られなくて、あいつは出ているんだろうって逆算していたんです。もし、自分にはサッカーは向いていないとセルフジャッジしたのであれば、指導者や親御さんがまたすぐ他の目標を見つけられるような環境に持って行けばいいと思いますし、子どもたち自身も次に好きなことをすぐに見つけて欲しい。それが生きる活力じゃないですか」

そして自身の目標設定の根底には欲や勝利への執着心があると言う。それを裏付ける、プロになって間もない頃のこんなエピソードがある。

「1995年にプロ(ジュビロ磐田)に入団してすぐ、94年のワールドカップアメリカ大会でブラジル代表のキャプテンだったドゥンガ選手が入ってきたんです。その頃負けてヘラヘラしている僕たちに彼は『負けたら次の試合までに反省しろ』『フィードバックは帰りのバスからすぐやれ』ということを言ってきたんです。そして『勝つとお金が入るし、生活水準も上がる』など、勝つとこんなことが起こるみたいなことを彼の体験談も含めて言って、サッカーだけじゃなくて、自分の人生に繋がっているんだということを最初から強く説いていたんです。彼の言葉でチーム全体の目が覚めた感じがありましたね」

突破できたということが自分の自信となり、その自信が成長に繋がる

目標とともに、自身への課題は常にある。様々な課題に対し、名波さんはどう向き合い、どう乗り越えてきたのだろうか。

「小学生の頃、右足にボールが来たら自分の思い通りにプレーできないとわかったから、右側にボールが来るようなシュート練習も、わざわざ左に回り込んで打っていたんですよね。そのことに何にも言わない監督だったから、『ああ、これをやっていいんだ』って。それでこの左足を使ってきたんです。右足で使うであろうエリアで左足を使える。しかもクオリティも高い。そんなのができたらいいなと小さい頃から思っていました。僕は短距離走がとびきり遅かったので、ボールを奪いに行く時の瞬時の予測やアプローチなど、どう速く見せるかということは徹底していましたね。速くしようではなく、速く見せようという」

得意なことは伸ばしやすいが苦手なことを改善するのは容易ではない。だから、名波さんのように良いところでカバーすることで乗り越えられることもある。それでも改善と向き合う時はやってくる。しかしその先に成長があることを教えてくれた。

「やっぱり反復練習が一番だと思います。それは徹底していましたね。小学生の時は近所の農協の壁を使ってボールコントロールの練習をしていました。それでちょっと上手くなったら完全に伸びしろ=自分のものになる。この突破できたということが自分の自信となり、その自信が成長に繋がると思うんです。そこに向かうエネルギーはポジティブとネガティブ、五分五分に近いくらいのバランスがちょうどいいんじゃないかな。ポジティブとネガティブは反語だけれど絶対に切り離せないから。落ちてネガティブになった時に次へのチャレンジ精神が生まれて、前を向き、それを突破した時に成功体験として壁を登ったなあっていう感覚になり、自信がつく。そういうサイクルっていうのは大事だなと思います。今日の教室でも、上手くいっていない子に『それじゃダメだろ』ってまずはマイナスのコメントから入って、できた時には3倍くらい褒める。それはやっぱり大事なんじゃないですかね」

名波さん自身、現役時代に上手くいかなかった時に必ずするルーティンがあったそうだ。

「年間50試合とかあるプロの試合の中で、絶対的にバイオリズムがあるんです。調子が悪い時は磐田から1時間かけて藤枝の実家に帰って、高校3年生の時の試合のVHSを観るんです。理由は二つあって、一つは間違いなく自分のリセットボタンを押せるから。もう一つはそのスーパーだった高校3年生の自分の映像を観るとポジティブなことしか入ってこないから。そして自分のネガティブ要素を全部洗い落として、また磐田に戻れるんです」

あの子に会わなかったらサッカーを辞めていたかもしれない

そんな名波さんならではの秘密の挽回策とは別に、自身のサッカー人生をも揺るがす大きな出来事があった。2002年の日韓ワールドカップの1年前、試合で膝に大きな怪我を負い東京の病院での手術を強いられた時のことだ。

「ワールドカップまで約1年。全治6ヶ月と言われていて、トップパフォーマンスに戻れるかどうかという不安や、28-9歳という絶好調の時期になんで俺が、っていう気持ちなどが入り混ざっていました。東京での手術後、看護婦さんの肩を借りて歩きながらリハビリをしていた時に、ストレッチャーで運ばれてきた中学生くらいの女の子に会ったんです。その子はものすごく明るく『こんにちは! 』と声をかけてくれるような子だったんですけど、後から余命3ヶ月ということを聞きました。見知らぬ人に対してあんなにポジティブに挨拶をして笑顔を振りまいて、病んでいた僕が、その子の顔を見ただけで笑顔になれた。その時、自分はちょっとリハビリを頑張ればピッチに立てるっていう状況なのに病んでいるなんてちっちぇえ男だな、と思ったんです。そこからちゃんと怪我を受け入れてリハビリをしっかりやろうとか、この怪我を乗り越えたら支えてくれている人に恩返しできるんじゃないかという気持ちになっていった。あの子に会わなかったら手術して2~3年後にもしかしたらサッカーを辞めていたかもしれない。僕の14年の現役生活は、怪我する前が7年。怪我をしてからが7年。こんなぶっ壊れた膝でよく7年もできたなと。あの子のおかげだなと思いますね」

続けていくこと

現役引退から11年。自身にとってサッカーとは? の問いに「人生」と答える名波さん。そんな彼がこれからアスリートを目指す子どもたちへのメッセージ。

「小さい時からサッカーと生きていくんだってずっと思っていました。ボールと左足さえ残っていれば自分の人生はなんとかなるって言い聞かせてきた気がします。後20年くらいしたら体は動けなくなっているだろうけど、いつもボールと一緒に生活していたいなと思いますね。“継続は力なり”という言葉があるように、続けていくことが重要だと思います。壁があったり、ふるいにかけられたり、人生では立ち向かわなきゃいけないシーンがありますが、子どもたちも、とにかく前に突っ込む継続感をずっと持っていて欲しい。諦めるなっていうのと同様かもしれないけれど、続けていけば、続ける気持ちがあれば、必ず未来が開けるし、明るいものが待っているんじゃないかなと思います」

名波 浩 Hiroshi Nanami

1972年生まれ。静岡県出身。清水商業高校 - 順天堂大学卒業後、95年ジュビロ磐田に入団。ジュビロ磐田の黄金期を築き、2002年には完全制覇を達成。99年にはイタリア・セリエAのACヴェネツィアへ移籍。初めて日本が出場したフランスW杯では日本の10番を背負う。日本代表67試合9得点。Jリーグ通算331試合34得点。引退後はサッカーの普及活動とともに、テレビ朝日「やべっちFC」でのコメンテーター・解説者としても活動。そして、14年途中に古巣ジュビロ磐田の監督に就任。15年J1昇格を果たし、19年シーズン途中まで監督を務める。

PHOTO写真写真

MOVIE動画動画